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事業承継より早めの廃業がいい場合

事業承継という言葉が、今はやっている。この言葉を聞くと、「事業承継した者が勝ち」、「事業を承継することがいいことだ」と思ってしまう。しかし、私がこれまで見てきた例からは、事業承継へ向けて必死に努力をし続けた結果、資金が底をついてしまい、却って経営者にも社員にも災いする例が見受けられる。逆に、早めに店じまいをし、廃業をした人が、そのお陰でお金を残すことができ、幸せな老後とハッピーな相続を実現している例がある。以下、そうした例を紹介しながら、事業承継がいかにあるべきかを考えてみたい。

■音響機器の設計技の頑張りすぎた社長

私が見た頑張りすぎた経営者、阿垣社長の例を紹介しよう。
阿垣社長は、消費者向け音響機器の設計技術を持ち、東北地方の雪深い田舎で事業を立ち上げた。最初は社員もほとんどおらず、自分ひとりの資金で立ち上げた。会社の名前は良音と名付けた。資金もあまりないので、細々と台湾の外注先を使いながら、事業を展開していった。

販売チャネルについては、秋葉原の小さな音響機器専門店を、東北から数か月に一度出てきて地道に開拓していった。こうした専門店にはオーディオ・オタクがついており、良音の作った音響機器は、音が素晴らしいということで、音響オタクの人々を引き付けていった。
だんだんといい噂が広がり、音響機器の評論家からも高い評価を受けるようになり、ついにオーディオ専門誌に良音の音響機器をほめる記事が載った。
そのお陰で取扱店舗が増え、売上も順調に拡大していった。強気になった社長は、社員を雇い始め、最盛期には8名の社員を使って事業を展開した。

売上も順調に拡大し、3億円を超えた

東日本大震災後の円高もフォローの風となって、仕入れコストも低下し、高い利益率を達成することができた。阿垣社長も大きな家を建て、地元では成功者として有名になった。
ところが、アベノミクスが始まり、為替相場が円安になると、仕入れ原価が高騰し、マージンが縮小し始めた。同時並行的に、この会社の音響機器の競合も出てきて、次第に売り上げが低迷するようになった。まさにダブルパンチである。

阿垣社長は、販促策として色々と奇抜な策を練り、悪あがきをした。しかし、経済環境の変化には対応できない。8名の従業員を早く削減すればいいのに、人情からそれもできず、ずるずると赤字を計上するようになった。人件費負担が重く、ついに銀行への返済もストップせざるを得なくなった。
阿垣社長は、それでも何とか利払いだけを続け、それから2年ほどしのいだが、ついに資金繰りが回らなくなり、自己破産を決断した。

自己破産により、何もかも失った阿垣社長は、田舎にあるため売却ができず、破産財団から放棄された、会社が本社として使っていた家に移り住み、再起を図った。
阿垣社長は、再び音響機器のビジネスを始める。ビジネスモデルは、自分で設計し、それを中国で生産して、輸入するという前と同じモデルである。

自己破産前から変えたのは?

販売チャネル。リアルの店舗は使わず、すべてをアマゾンで販売することにした。これなら、従業員を雇う必要もなく、生産量を調整していけば、在庫もほとんど持つ必要がなく、固定費は0に近い。元々粗利率は50%を超えているので、売れればその半分が自分の利益となるという仕組みである。
良音の名前も阿垣社長の名前も、音響オタクの間では、有名だったので、阿垣社長が新製品をアマゾンで売り始めると、数か月のうちに、「阿垣が、また悪あがきを始めたぞ。でも、なかなかいい音がでるらしい」と、そのうわさがオタクの間に広まっていった。安い値段でいい音の出る製品を開発したので、レビューも高得点となり、1年も経つと月商500万円の水準を達成するようになった。

阿垣社長は、今、自己破産を振り返ってこう思う

「ああ、もっと早く事業を縮小していればよかった。あんなに長く苦しまなくて済んだのに。」

■ゴム靴株式会社は頑張らない決断をし、幸せな老後を送った社長

ゴム靴株式会社は、戦後、いち早く婦人靴の生産に乗り出した東京近郊の会社である。
戦後は物がなかったから、デザインがよくないゴム靴でも、履ければいい、長持ちすればいいということで、ゴム靴が飛ぶように売れた。デザインよりも、機能性。頑丈で長持ちすることが評価され、ゴム靴株式会社は急成長を遂げた。

売上は8億円ちかくまで伸びた

即決社長が夫婦二人で細々と始めた会社が、1970年代には従業員50人を要する会社となり、売上は8億円ちかくまで伸びた。粗利は30%程度と低かったが、人件費、販促費を差し引いても、即決社長夫婦の手元には5000万円もの金が残った。
即決社長は、高額所得者になっても、普段の生活で贅沢は慎み、この金を使って、近隣の不動産を取得し、アパート経営を始めた。いつ、ゴム靴株式会社がおかしくなっても、不動産所得で食べていけるようにとの転ばぬ先の杖である。
1980年代になると、消費者の嗜好も高度化し、靴もいいデザインのものしか売れなくなってきた。それでも、ゴム靴株式会社は、デザイン性を改善するとともに、一段と低価格戦略を強化し、売上の下落を何とか押しとどめることができた。

バブルの崩壊で売上が15%ダウン

しかし、1990年代に入り、バブル経済が崩壊すると、その影響を受けて、売上は毎年15%ほど低下し始めた。ついに、売上が4億円を切ると、夫婦の手元にはほとんど何も残らなくなった。
並みの経営者なら、いつかは盛り返せると思い、じたばたと自己破産前の阿垣社長のように経営を続けるはずである。しかし、即決社長は、毎日新聞を隅から隅まで読むことが欠かさず、世の中の流れを理解していたから、1995年3月には思い切って廃業を決断する。この時、即決社長70歳であった。
4月のある日、即決社長は社員全員を集めて、9月末を以て、ゴム靴株式会社は廃業する旨を伝え、それから半年で会社をきれいに片づけた。社員にも、会社でためていた利益から、半年分近い退職金を支給することができた。

即決社長夫婦の下には、景気のいい時に買っていたアパートが5棟残り、即決社長夫婦は、毎月厚生年金30万円に加えて、家賃収入200万円を維持することができたから、何不自由ないハッピーな老後を送ることができた。
その後、夫婦は長生きし、2010年、2011年に相次いで亡くなったが、二人の子どもたちには5億円を超える財産を残すことができた。二人の子どもたちが、両親に感謝したことは言うまでもない。

 

■頑張る、頑張らないを決めるポイント

以上、見てきたように、頑張るよりも、頑張らない方がいい結果を招くことがある。
人口減少社会、高齢化社会、右肩下がりの時代を迎えた日本では、頑張らない方がいい結果を残すことが多い。
しかし、人間は成功体験に縛られる。未来は過去の延長線上にある、過去に起こったよい出来事が、また起こるに違いないと考える人が多い。
こうした悪しき習性を断ち切るためには、世の中の流れを冷静に分析しておくこと、変化に対応できる心構えを作っておくこと、自分の置かれた立場を第三者の目から見たらどう見えるかを常に意識しておくことが大事だ。
これができれば、情勢判断を誤ることがない。

では、そのためにはどうするか?

まず、新聞を読んで世の中の流れをよく頭に入れておこう。
次に、自分の会社の損益計算書をみて儲かっているか、損しているのかを理解しておこう。さらに、貸借対照表を見て、現金がいくらあるのか、前記に比べて増えたのか、減ったのかをよく見ておこう。損益計算書上でいくら利益が出ていても、それが現金になっていなければ、何かおかしいと疑問を持とう。

そして、税理士やコンサルタントに自分の会社の客観的な評価を求めよう。その際に、自分の意見を押し付けるのではなく、相手の意見に耳を傾けるようにしよう。これができないと、判断を誤ることになるのだ。
これだけ材料がそろったら、自分の頭で考えて、廃業するか、継続するかの判断をしよう。継続する場合には、どういう場合になったら廃業するのかの基準を決めておこう。

こうした準備を用意周到にしておけば、頑張りすぎて、廃業、撤退が遅れるということはなくなるはずだ。事業承継は絶対じゃない、時には、事業承継をしないこと、廃業の決断をすることが、自分にとってハッピーな決断になることを理解しておいたほうが良いです。

©2017 青山東京法律事務所.
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