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ニトリ株の支配権をめぐった相続がらみの事業承継争い

ニトリと言えば、今や家具インテリア業界のリーディング企業だ。企画、製造から輸入、販売までを一気通貫で展開し、さながら家具インテリア業界のユニクロと言ったところ。
2017年2月期の決算は、売上5127億円、営業利益857億円を計上。なんと30期連続増収増益。札幌に本拠を置く会社だが、最近は都市部への進出がめざましい。
その優良企業ニトリで、ニトリの株の支配権をめぐって、一族間の泥沼の戦いが展開された。相続がらみの事業承継争いである。

■紛争のタネ

ニトリの前身は、現社長の似鳥昭雄氏の父義男氏が創業した「似鳥家具店。」1967年に札幌市で創業した。
この家具店が1972年に法人化され、現在のニトリの前身の「似鳥家具卸センター」となった。そのときの代表取締役が、父の義男氏。取締役に母のみつ子氏、昭雄氏、昭雄氏の妻と知人一人が就任した。この取締役構成から見ると、この会社と昭雄氏以外の子どもとの関係は薄かったようである。

1989年7月に義雄氏が死去した。昭雄氏がニトリ株9万2500株と関連株式1740株、母のみつ子が不動産を、弟幹雄氏と妹の洋子氏、和子氏がそれぞれ現金1000万円ずつを相続した。このときの相続は、税理士事務所で作成された1990年1月10日付けの遺産分割協議書に基づいていた。
ところが、なんと17年後の2007年4月になって、母、弟、妹2人が原告となり、遺産分割協議書に押された実印が、原告の意思に基づくものではないとして訴訟が提起された。

ニトリのホームページを見て、会社の沿革を見てみると、ニトリが上場されたのは、1989年の9月、札幌証券取引所。なんと、お父さんが亡くなった2か月後のこと。昭雄氏は、父の義男氏が亡くなったとき、上場を控えて、自分への株式の移動をかなり焦っていたことが容易に想像できる。

こうしたタイミングの悪さから、いくつかの疑問点が上がってくる。

疑問点1

上場時の株主名簿に誰が株主として記載されていたのかという点だ。遺産分割協議書の日付は1990年1月なので、上場後3か月も経過してからだ。遺産は、被相続人の死亡とともに、相続人間の共有状態となるから、本来、義男氏が所有していた9万2500株は、母みつ子氏、昭雄氏、幹雄氏、妹の洋子氏、和子氏の共有状態にあったはずだが、この通り記載されていたのだろうか。

疑問点2

このときの9万2500株の相続税評価額をいくらと計算していたのかということだ。上場後の1989年9月末には591円と価格をつけているので、9万2500株は時価では約5500万円ということになる。
弟幹雄氏と妹の洋子氏、和子氏は、それぞれ現金1000万円ずつしか相続していないから、昭雄氏が相続した5500万円相当の株式は、兄弟の中で圧倒的に多かったと言える。
ただ、昭雄氏がもらった株は、決して何億円というものではなかった。訴訟提起の2007年当時のニトリの株価なら200億円にもなるが、それは昭雄氏の経営努力の成果であって、相続時の不均衡はそれほど大きくはなかったということだ。

疑問点3

なぜこの訴訟が分割協議から17年もたって起こされたのかということである。
訴状によると、弟の幹雄氏は、1989年6月からニトリのシンガポール現地法人に勤めていたということだ。ところが、2003年ごろ、昭雄氏と幹雄氏は、現地の経営方針をめぐって対立。幹雄氏は、2004年2月にニトリを退職した。
幹雄氏によれば、同年暮れに、母のみつ子氏から、遺産相続に疑問があると打ち明けられたということだ。しかし、17年もたってから訴訟が起こされたところを見ると、昭雄氏のみが、この間に、大成功して大金持ちになってしまったことから、みつ子氏が、昭雄氏に対して、兄弟にも分け与えてほしいと言っているような気もする。
みつ子氏が言う疑問が法律的に保護されるべきものか、単なる母親の子供たち全員に成功を分け与えてほしいという思いかは、最終的に裁判所に判断してもらうしかなかったのだ。

 

■一審の判決

それでは、裁判でどうなったのであろうか。
札幌地裁の判決によれば、父義雄氏の死去から約1か月たった89年8月9日、昭雄氏は、母みつ子氏に、父の株を全部自分が取得したい旨を話し、みつ子氏から了承を得たそうだ。さらに、2か月後の10月に昭雄氏は、妹の和子氏を訪ね、株をすべて自分が相続したいと話すと、特に異論はなかったということである。
弟の幹雄氏は、当時ニトリのシンガポール現地法人に勤めていたが、1989年12月末に一時帰国。遺産分割協議書は、このときにはすでに準備されており、このときに、全員が実印を押して完成したということだ。

ところが、この実印の押し方に問題があった。母のみつ子氏が、幹雄氏、洋子氏、和子氏の実印を預かっており、記名された遺産分割協議書にみつ子氏が押印して完成させたということらしい。そこで、幹雄氏、洋子氏、和子氏に遺産分割協議を成立させる意思があったのかが問題となったものと思われる。

仮に、その意思がなかったとされれば、遺産分割協議は白紙に戻り、9万2500株は、法定相続分に従って、みつ子氏に2分の1、昭雄氏、幹雄氏、洋子氏、和子氏に8分の1ずつ分割されることになってしまう。会社を経営する昭雄氏にとっては、そんなことになったら、母や兄弟から経営に口出しされることになり、一大事である。
札幌地裁は、書面に実印の押印があり、それは幹雄氏、洋子氏、和子氏の意思に基づくものと判断されたらしく、昭雄氏が勝った。つまり、9万2500株は昭雄氏が取得したということで決着したというわけだ。

 

■控訴審での和解

ところが、原告の母みつ子、弟幹雄氏、妹の洋子氏、和子氏らは、この判決を不服とし、控訴した。この株式の価値は2007年当時の株価で200億円にもなるらしく、控訴審での判断が注目されていた。
控訴審で和解が成立したが、その詳細は不明である。おそらく、昭雄氏が相当額の和解金を支払うことで合意したのであろう。
和解が成立した直後のニトリの株式の移動を見ると、昭雄氏個人の持つ株式の大半が、ニトリ商事へと移動されたように見える。昭雄氏が、個人で和解金を支払うために、ニトリ商事に株式を購入させて現金を作ったのかも知れない。
真相は不明であるが、相続の争いが事業承継を左右することを如実に示したのが、このニトリの争族である。

 

■本ケースから学ぶ教訓

我々は、このケースから何を教訓として学べばよいのであろうか。
それは、遺産分割協議書の作成は、相続人が納得させた上で、慎重に行うべきものだということであろう。相続人にとっても、相続は初めてのことなので、税理士のペースで話が進んでしまう。言われるがままに、署名押印をしているだけだから、後で「自分の取り分は少なすぎる」、「遺産分割協議書の内容に合意した覚えはない」と言って、争いを起こしてくるのである。
私が担当したケースでも、遺産分割協議書の成立が争われたものがあった。父が亡くなり、母、兄、妹の3人で相続したものだが、妹が自分の知らないところで、勝手に兄が遺産分割協議書を作ってしまったものだといって争いとなったのである。

このケースでは、修正申告が数回行われており、最初の相続税申告書と遺産分割協議書には実印の押印があったが、その後の相続税申告書と遺産分割協議書には認め印の押印しかなかったことから、妹が2回目以降の遺産分割協議は成立していないとして争ってきたのである。
この場合も、税理士事務所が作った遺産分割協議書に、母が兄、妹から預かっていた認め印を押印していた。「自分が押したのではない」、「実印ではない」と言って、妹が争ってきたのである。
このケースでは、最後の遺産分割協議書に基づいた相続財産の分割がすでに行われており、それから数年の時間が経過していたことがあって、この妹の請求は却下され、事なきを得た。
ニトリのケース、私が担当したケースを見ても、いかに相続人全員の納得感が重要かということが示されている。

後で争う口実を与えないためには、必ず遺産分割協議書には名前を自署させ、実印を押印させることが必要だろう。これができていれば、ニトリのケースも私のケースも争われることはなかったと思われる。

©2017 青山東京法律事務所.
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